13代 小野寺恒三郎
同人は■村母体町・高橋卯作の三女たる千代を妻に娶り五男一女を生み、長男・半右衛門を相続人となしたるも家産既に衰頽再興し難きを思い、倅半右衛門に屯田兵を志願なさせ明治■壱年戌陰七月五日己むを得ず村元を出發、北海道・北見国紋別郡・上湧別村四中隊壱■■壱番地に移住し、遂に明治四十年四月に至りて次男・正を分家し。
13
小野寺恒三郎 (赤生津:戸籍番号115:
前沢町史下巻1, p.739)
(藤原義輝)
弘化3(1846)〜大正15(1926)
小野寺千代
安政3(1856)〜昭和31(1956)
分家 次男 小野寺正(最初は生田原、後に上湧別で営農)
大規模な養繭業を営むが、2年連続の繭の
伝染病で大きな赤字を被る。長男14代半右衛門、
一族と共に屯田兵として1898年、北海道に渡る。
郷里の土地・屋敷は丑蔵四男の小野寺政治が
買い受けた。政治はそれまで借家住まい(前沢町史下巻1, p.740
分家三男 小野寺勇(公務員として助役・町長などを勤める)
分家四男 小野寺四郎(妻は宮城県伊貝群村より白滝に 移住した
太田熊吉二女よしを
)
五男 小野寺寿 14代半右衛門に子供がなかったため15代へ
長女 カシク