初代
小野寺豊後(ブンゴ?)
(藤原吉定)
永正元年(1504)〜文禄2年(1593)
前沢町史 中巻 -中世の東北と前沢- 1976 (絶版)に羽場舘の記述がある。舞草(もぐさ)は地名(磐井郡の内北上川東を東山といい、東磐井と呼ぶ。東山の名は、続日本紀延暦八年の條に見へたれば、最古し、舞草山(もぐさやま)。舞草村・舞草神社もあり)からとったものか。
戦国大名葛西氏家臣団事典 紫桃正隆 宝文堂 1990(絶版)では佐々木左衛門綱利(さえもんつなとし)が佐々木左衛門四郎として舞草城・羽場城の当主であり,舞草村「風土記」には舞草内匠とあったとあるが,こちらは天正16年5月気仙沼浜田氏の反乱に太守軍として出陣して討ち死(1536-1588)とあるので,羽場館城主の舞草内匠(-1591)とは別人だろう。こちらの文献では羽場村城主として佐々木氏とは別に舞草内匠の名前がみられる(p.609)
風雲小野寺一族-小野寺一族の会(編),1999, p.177 に舞草内匠守胤長(羽場舘城主)の名前が見える。