8
代
小野寺半右衛門
同人妻は当村・鹿野屋敷・権三郎の女を妻と娶り、一男を生み、即ち、其の長男・兵之丞は
相続人となりしが、其の父・半右衛門の妻早世せしを以て又同家より其の娘を後妻に娶り、一女を生み、此の一女フクへ下胆澤郡・上野村・油地屋敷・太郎右衛門弟長兵衛を婿に貰い取り一女を生みしが、夫・長兵衛は早世せしを以て亦上野村・油地屋敷・上山七右衛門の弟・卯左衛門を貰い受け、後夫とし田畑を与え西屋敷へ分地す。
8
代
小野寺半右衛門
(藤原信寛)
享保
5
年
(1720)
〜
寛延
11
年
?(1758?-
寛延は
3
年までなので誤り
)
寛政
11
年
(1799)
が正しい?
半右衛門妻
(
先妻
)
享保
13
年
(1728)
〜延享
3
年
(1746)
半右ェ門妻
(
後妻
)
享保
16
年
(1731)
〜天明元年
(1781)
8
代 分家
次男
小野寺長十郎
(7
代兵内の子供
)
同人妻は當村の浪都坊の娘を妻に貰い受け、田畑半高を与え林屋敷へ分家す。
8
代 分家
三男
小野寺興四郎
(7
代兵内の子供−後妻の子
)
同人妻は東山小島仁三郎の女を妻に貰い受け、田畑半高を与え新百姓として寺畑屋敷へ
分地す。
小野寺卯左衛門
半右衛門長女の後夫
同人は本家八代半右衛門の長女フクの後夫なり。此の夫婦へ田畑を与え西屋敷へ分地せ
しが、此の二代目は
小野寺和惣右衛門
にして三代目
小野寺惣太郎
に至り悉皆若干金に質入れなし、且つ逃亡して、其の侭帰郷せざるに付き、本家拾弐代
小野寺官平
に至り質入れ地所受け戻し、同人長女サヘと分家
小野寺丑■助
(丑蔵)の弟
小野寺政治
を貰い受け、惣太郎の後相続人と為し、再興を計れ然るに惣太郎は政治の分家なる前に帰郷し、本家方にて死去せり。
前沢町史中巻 p.619 下段に代数有りの御百姓16人の中に六代相続 羽場屋敷 半右衛門 の記載あり。
分家 小野寺丑蔵
長男 夭折
長女 ヒロノ
東磐井郡河津村 佐藤市左衛門に嫁ぐ
次男
小野寺只七
--
小野寺勲(改名小野寺徳郎)--小野寺誠至--長男 小野寺孝
三男
小野寺金吾
--小野寺武海
四男
小野寺政治
(後に13
代から家・屋敷を買い受ける
)